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看取るということ
 送信日時  2011/03/18 22:10
○○のおばさんからよく言われること
「親が亡くなるときには、必ずそばにいなさい」
「冷たくなってから駆けつけたのでは、一生悔いが残るよ」と
○○に住む母親(おばあちゃん)のことである。
親が死ぬときは、必ずそばにいることが、人生で最も大切なことのように話される。
だから、○○と○○とで離れていて、すぐに駆けつけることができない距離にいることは、とても良くないことだと言う。

しかし、お父さんは、おばさんの言われることが理解できない。
親のことをいつも大切に思っていれば、たとえ遠く一人で死んでいっても、わかってくれると思っている。

お父さんが子供の頃、父方の祖母だけが健在で、他の3人の祖父母は、すでに亡くなっていた。
そして、残った祖母も、小学校6年の時に死んでしまったが、最後は、遠くの病院で誰にも看取られず、一人寂しく死んでいった。
とても悲しかった。
孫は、お父さんを含め7人いたが、そばで一緒に暮らしていたのはお父さんだけだった。
だから、よく怒られはしたが、とても可愛がってくれた。
祖母の顔や声は、今でもしっかりと覚えている。
死ぬ時は、そっと手を添えて見送ってあげたかった。そのことが今でも悔やまれる。

貴方達の祖父母も、もう○○のおばあちゃんが残るだけとなった。
お母さん方は、貴方達が顔を知らないおばあちゃんも、昨年に亡くなったおじいちゃんも、亡くなるときは、家族の皆に囲まれて亡くなった。
皆が手を握り、しっかりと見送ってあげた。
お父さん方のおじいちゃんは、運悪く、亡くなるときは、誰もそばにいなかった。
まだ大丈夫だろうと、一週間ぶりにお父さんも職場に復帰した直後のことだった。
皆が普段の生活に戻って、おじいちゃんは安心してやっと一人で逝くことができたのかもしれない。

お父さんもこの歳になり、自分が死ぬときのことを考えることがある。
死ぬ時には、決して貴方達がそばにいてくれなくても、いつもお父さんのことを忘れず、最期のときには少しでも悲しんでくれたら、それでいいと思う。

このように、死ぬ側と看取る側とでは、感覚が全く違うと思う。

○○に暮らす母(あなたのおばあちゃん)も、もう76歳になり、いつどうなるか心配だが、母を思う気持ちがあれば、母は幸せでいてくれると確信している。

「看取る」ということを考えることが多くなったが、看取ることの大切さは、○○のおばさんが言うようなことではなく、心の中で結びついていれば、それで達成できると思う。

ただ、人生の始まりと、人生の終わりは、その人にとっての最大のセレモニーであり、とても大切な時間でなくてはならない。

○○のおばさんは、こうも言う。
「一生の途中がどうであれ、最期が良ければ、それが一番幸せなこと」だと
それだけは、おばさんの言うとおりかもしれない。
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