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高架下の小宇宙
 送信日時 2011/05/27 23:10
今回も、お父さんの幼少の頃の思い出話をしよう。

お父さんが大阪の門真市に住んでいた頃は、昭和30年代後半から昭和40年代の前半で、ちょうど高度成長期の真っ只中だった。
大阪の周辺地域は、スプロール現象といって、急激で無秩序に都市化していき、自然はどんどん狭まっていった。
そして、最後に残った自然は、高速道路や陸橋の高架下などの、開発ができない猫の額ほどの空間だけだった。
当時の高架下は、舗装もされず土のまま放ったらかされていたので、そこに自然の生き物が棲みついたというわけだ。
あまりにも急激な都市化のため、直前まで存在した自然が急に失われると、そこに棲んでいた植物や昆虫たちが行き場を失い、高架下の小さな自然にどんどん集まるようになった。

お父さんは昆虫が大好きで、いつも網と虫かごを持っては、「立入禁止」の札がかかっている金網を乗り越え、高架下で一日を過ごすことが多かった。
そこには、トノサマバッタ、ショウリョウバッタ、テントウムシ、カマキリ...多くの昆虫が活き活きと生活しており、まさに昆虫たちの楽園だった。
ただ、頭上では騒音や振動とともに自動車が行き交い、周りは工場のばい煙で空気がかすみ、今から思えば、とても異様な光景だったのだろうが、小さな私は、自然に戯れることで精一杯だった。

私たち人間は、今では地球のどこへでも簡単に行くことができるようになった。
そればかりか、地球を離れ、月へ到達し、地球を回る国際宇宙ステーションでは、常時何人もの人間が暮らしている。
私達の感じる宇宙は、太陽系を飛び出し、銀河を離れ、現在では465億光年も離れた星を観測することができるという。
だから、宇宙の大きさからすると、地球なんて細胞よりも小さいミクロの世界。そして、私達が住んでいる地域は、顕微鏡でも確認できないような微小な存在。
しかし、当時のあの昆虫たちは、あの狭い狭い高架下で生まれ、そして死んでいった。
外の世界は全く知らず、彼らからしてみれば、あの狭い高架下が宇宙そのものだった。

幼少の頃の想い出にふけるとき、何故かあの高架下の風景が蘇ってくる。
そして、「高架下の小宇宙」なんて馬鹿げたことを真面目に考察したりする。
全く変なクセがついた。
自分の精神構造が、自分でもわからなくなってきている今日このごろ。
そのうち「変わり者のジジイ」と呼ばれるようになるのかも。
でも、「変わり者」は、いい響きだと思う。

貴方も「変わり者」になりませんか?
世間のしがらみから開放されて、楽になれるかも...なんてね
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