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トイレの神様
 送信日時 2012/04/25 22:41
今回は、宗教の話をいったん置きます。

植村花菜の「トイレの神様」は、もう古い話題になったのかな

お父さんは、この歌を聴くと、今でも何かこみ上げてくるものを感じる。
何回聴いてもそうなる。
よく聴いてみると、詞は単純な内容だし、植村花菜さんが紅白歌合戦でこの曲を歌っているとき、お母さんや●●ちゃんがこの曲に対して否定的なことを話していたことも、まあ納得できることではあるが、それでも、未だにこの曲を聴くと胸が熱くなる。

お父さんの心は、常に歌に支えられてきた部分がある。
この歌の主人公は、おばあちゃんと孫。
この存在がお父さんの幼少の頃とオーバーラップする。
でも、不思議とお父さんの場合は、おばあちゃんは祖母ではなくて母、つまり貴方達のおばあちゃんをイメージしてしまう。
今では母がすっかりおばあちゃんの年齢になってしまったからだと思うが、お父さんが小さい頃も、本当におばあちゃんのような存在だった。
怒ったことは見たことがなく、いつも内職をしながら、何があっても穏やかでニコニコしていた。苦労を全く感じさせない人だった。
そんな母を、お父さんは馬鹿にしたり、反抗したりと、そんな時期もあり、大人になってからも、最近までは、特に母のありがたみを感じずに、無神経に接してきたように思う。
だから、この歌を聴くと、自分の過去を悔い、胸が熱くなる。

幸いなことに、この歌と違って、まだ母は健在である。
本当に後悔しないように、これからは心から母と接していこうと思う。

貴方にとっては本物のおばあちゃん。
貴方が小さいときは、「トイレの神様」みたいなおばあちゃんとの経験は少なかったかもしれないが、それでも、思い出してごらん。心に残る場面がたくさんあったはずだから。

貴方のもう一人のおばあちゃん。おかあさんの母親は、どんな人だったのか、興味があるのではないだろうか。
お父さんは、少しの間しか接する時間はなかったが、元気な頃は、太陽みたいに活き活きした人でした。笑顔が素敵で、とても心配性で、情が厚い人だったという記憶がある。
亡くなった時が47歳だったから、ちょっとおばあちゃんのイメージはできないけどね。
今でも生きていれば、きっと素敵なおばあちゃんになっていたはず。

今週末は、母を連れて九州に渡ってきます。
父親方の親戚が大集合です。
経費もかかるし、ちょっと面倒だったけど、母のためを思えば、元気が出ます。

貴方もこのゴールデンウイークを十分楽しんでください。
(後半は付き合いまっせ!マックいこー!)
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