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オウム真理教に想う 送信日時  2012/06/17 12:07
父にもやることがたくさんあって、最近はなかなかつぶやけなくなってきたけど、今回は、約束どおり「宗教」の続きを・・・

先日、NHKスペシャルでオウム真理教の特集があった。
元メンバーの告白や、獄中の死刑囚との手紙のやり取りなどを通じ、どのようにしてオウムが出現し、何故暴走するに至ったかなど、とても興味深い内容で、忘れかけていたオウムの存在を再考する良い機会になった。

と思っていたら、何と、それから間もなくして、指名手配されていたオウム幹部の残り3人が、立て続けに検挙された。
なんと言うタイミングの良さ
地下鉄サリン事件から17年。この長い時を経て、ようやく事件は収束に向かうのだろうが、オウム真理教を通じて、改めて「宗教」とは何かを、お父さんなりに考察してみようと思う。

お父さんは、宗教のほとんどは、経済的、精神的に様々な苦悩を抱えている人が存在することで成り立つものだと理解している。弱者が心の拠り所とするために、超現実的なものへの信仰が始まり、それが集団化したものが宗教だと思っている。
しかし、オウムの信者は、驚くことに、経済的、社会的な弱者というより、裕福な家庭に育った人や、高学歴の人が多い。
何故、そのような良識を持った人達が、あの浅原彰晃に洗脳されていったのか
サティアンだのポアだの、わけのわからない教団用語を真面目顔で使い、頭には奇妙なヘッドギアを付けさせ、国政選挙に立候補したときは、変な着ぐるみをまとい、「しょーこー、しょーこー、あさはらしょーこー♪」なんてお経のような不気味な歌を歌っていた。
誰が見ても、イカれた人達の集団。

この理解できない集団行動は、アルカイダのテロ組織や、北朝鮮の国民行動にも通ずるところがある。
さらに遡れば、第二次大戦中のナチスドイツを連想してしまう。
ドイツ国民は、ヒトラーに集団洗脳され、大規模侵略やユダヤ人迫害など、非人道的な行動を、どんどん推し進めていった。
これは、当時の日本も同じで、以前に貴方達に話した「神風特攻隊」のような信じられない行動へと国民を導いていった。

これら全てにあてはまること、それは群集心理の利用と、「殺りくなければ平和なし」の固定化された恐ろしい理念
罪のない人を、何百人、何千人、何万人、いや、何億人殺しても、それは、世界平和の実現のためには許されると言う教え
この誤った理念が横行している限り、戦争やテロが絶え間なく繰り返される。
そして、その行動に重要な役割を果たしているのが、宗教。

人類平和に残された道は、地球に存在する生命の尊厳を説き、全ての命に対する差別は悪だと、全世界の人々を洗脳できる「神様」のようなスーパーヒトラーが現れるしかない。
しかし、人間がいくら賢くなっても、闘争本能がある限り、殺りくの歴史は延々と続いていくのだろう。
本当に悲しいことだ・・・