目次に戻る トップページへ
生かされているということ 送信日時  2012/11/09 00:52
私達人間は、生き物の中で唯一文明を持ち、発展を遂げてきた。
文明社会の中で、他の生き物が羨むような贅沢な生活を謳歌している。
しかし、人間は、文明の発展とともに傲慢になり、「自分を中心に世界が回っている」と誤解しやすい生き物になってしまった。
犬や猫は、ただ毎日の命をつなぐためだけに、黙々と生きていて、それで満足している。
うつ病もノイローゼもなく、自殺を考えることもない。
しかし、人間は、犬や猫より裕福で安全に生活しているはずのに、いつも不安や不満を抱え、不幸な生活を強いられている人が多い。
この原因は、人間が「生かされている」ということを忘れてしまったからだと思う。
人間は、いくら賢くなっても、大宇宙の法則を変えることができず、結局は、せいぜい100歳までの命で死んでいく。100年なんて、宇宙の営みからすると、ほんの一瞬のこと。

お父さんは、昔よりストレスに耐えれるようになったと思う。
本当は、今も昔と同じようにストレスを感じる。苦しさの大きさは、そんなに変わっていない。しかし、ストレスへの対応の仕方が少し上手になったと思う。
いくら悩んで考えても、状況は良くはならない。それなら、考えないほうが良い。でも、頭でっかちな人間は、そんなにうまく気持ちを切り替えることができない。
それを手助けしてくれるのが、「今日もこうして生かされている」という感謝の心だと思う。この心が、最終的には宗教に繋がっていくのだと思うが、お父さんは、宗教には興味がない。もしも宗教があるとしたら、それは、釈迦でもなく、キリストでもなく、宇宙を支配する目に見えない法則だと思う。

今夜は、久し振りに散歩して、夜空を眺めてみた。
地球の周りを月が回っている。地球は太陽の周りを回っている。たぶん、太陽もまた銀河の渦の中で、規則正しい運動をしている。そして、数え切れないほどの銀河が、規則正しく並んで存在している。
人間が把握しているのはここまでで、これが宇宙の大きさだと思っている。しかし、その宇宙が、実は砂粒みたいなちっぽけな物で、その砂粒が砂漠のように広がり、ひょっとして、その上を人間のような生き物が歩き回っているのかもしれない。
それらの存在や動きは、全て勝手に発生したのではなく、何か決まった法則があるはず。こんな規則性のある動きは、何かが意思を持って作ったものとしか思えない。それが「神」と呼ぶものかもしれない。
人間が生まれて、子孫をつなぎ、そして死んでいくのも、その法則の中で生じている必然なこと。
そういうことを考えると、人間は、もっと謙虚にならなければならないと思う。

苦しみから逃れるためには、大きな宇宙の法則の中で「生かされていること」に感謝し、大自然の流れを感じながら、それに逆らわず、謙虚な気持ちで生活することだと思う。そうすると、悩んでいることが馬鹿らしくなる。
自分の殻に閉じこもった小さな考え方を捨て、もっと広い心、そして宇宙の長い時の営みを感じながら、自分が今こうして生を受けていることのありがたさを感じながら生活できたらと思う。

●●●は、今は何をするパワーもないだろうが、大切なのは、辛いときに狭い家の中でふさぎこんでいるのではなく、大きな自然を感じる場所で、自分の存在のちっぽけさを感じることだと思う。
お父さんは、夜に散歩したり、休みに山に登ったりしているが、楽しくてやっているのではない。本心は面倒くさい。
身体や心が辛いときは、布団の中にもぐりこんでゆっくりしたら、どんなに気持ちいいだろうと思う。しかし、本当にそうしてみても、逆によけい辛くなるばかり。不思議なことに、楽だと思うことが楽にならずに、外に出て身体を動かしてエネルギーを使ったら疲れるはずなのに、これが逆に心地良い。
空を見る、月を見る、星を見る、広い大地を見る、こうした自然の営みと同化することは、人間にまだ備わっている生きていくための大切な本能だと思う。
人間は、頭が良くなったせいで、そういった自然を感じることで心を安定させる大切な本能までも殺してしまっている。