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心のふるさと 送信日時  2011/05/08 23:32
震災に遭った東北の人は、長年住んだ地域を離れて、避難所で生活している。
そこで誰もが口々に言うことは、「いつの日か、住んでいた場所へ戻りたい」と。
被災者に就職を斡旋をしても、県外への就職先には、ほとんど応募がないという。
この就職難の中、ただでさえ働くことが困難な状況にあるのに、各企業が被災者支援のための採用枠を設定しても、県外なら行かないと言う。
帰る故郷のないお父さんには理解ができないが、これが「郷土愛」というものなのか。

そう、お父さんには帰る故郷がない。
生まれ育った街は大阪だけど、もうそこには親族はおろか、親戚もいなくなった。
でも、最も懐かしい想い出は、小学校低学年まで過ごした大阪府門真の生活。
もう門真を離れて40年が過ぎたが、お父さんの心の中には、門真で過ごした想い出でいっぱいだ。
大阪で生活した18年間で、門真に住んだのは6年間。年齢にして言うと、3歳から小学校3年の夏まで。
不思議なことに、このたった6年間に、故郷の記憶の全てが詰まっている。
もう知り合いもなく、当時の面影もなくなっているだろうけど、いつまでも心の中に存在し続ける大切な「心の故郷」。

「ふるさとは、遠くにありて想うもの」とよく言うが、本当にそうかもしれない。
帰りたくても帰れない状況にあるからこそ、人は故郷を思い、故郷が恋しくなる。
ひとりで背負う現実の厳しい生活が、自然と故郷を美化させてくれるものなのだと思う。

あなたは、1歳半で○○に越してきて、2歳半から現在の○○の家に住んでいる。
赤ん坊の時の○○の記憶はないはずなので、○○が生まれ育った土地ということになる。
そして、○○を離れれば、故郷は○○ということになるが、ずっと近くに住み続ければ、「郷」は存在しても、「故」郷は存在しない。
だからと言って、県外移住を勧めるわけではないけど、ひょっとして、遠くで生活することは、自分にとってプラスになる部分も案外多いかもしれない。
「郷愁」を感じることは、何か優しい気持ちになれて、いいもんだけど、お父さんのように「心の故郷」になってしまったら、ちょっと問題かも。
「故郷は遠きにありて」も、帰ることができる場所でなくてはならない。
それは、親の責任なんだけど・・・

まあ、あなたが遠くに行ってしまうことは、お母さんは大反対だろうけどね。