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今の世代は幸福か? 送信日時  2010/12/21 23:04
テレビのドキュメンタリーなどで、古い昔の人々の写真を見ると、厳しい生活の中に、活き活きとした表情がある。
その厳しさは、その頃の社会情勢や家庭環境の厳しさから培われていたのだと思う。

当時の社会が人間が生活するために良い環境だったかどうかは疑問だが、今は生活が裕福になり、余裕が生まれたおかげで、自己の生活を厳しく見つめる必要がなくなった。
だから、そんなに頑張らなくても、それ相応の生活ができるようになった。

でも、それが幸福なことかといえば、そうとは言い切れないと思う。
昔の子供は、家が貧乏で、継ぎはぎだらけの服を着て、勉強よりも家の仕事を手伝う子供が多かったが、そんな子供たちの目は、いつも輝いていて、活発的だった。
今の子供、特に都会の子供は、奇麗に着飾り、いろいろな種類の楽しみを持ち、時間的な余裕もあるのに、何故か輝きのないうつろな目をしている。
今の子供は、文明が行き渡っていて生活が楽なはずなのに、昔より精神的ストレスで病になる人が多い。
物質的文明が進めば進むほど、精神的な幸福感が失われていく。これは、まぎれもない事実。

何故だろう?

お父さんはこう思う。
楽な生活に慣れると、進んで苦労をする意思が失われ、苦労や苦痛がなくなると、ちょっとした束の間の幸せを感じ取れなくなる。
また、ちょっとした苦労が、とても大きな苦労に感じてしまう。
人間の「幸せ」は、心の感じ方で、大きくも小さくもなる。
ちょっとしたことが幸せに感じれるようになるには、自ら進んで苦労に立ち向かっていく習慣付けと、大自然と同化する時間を持つことだと思う。
所詮、人間も地球上の生物のひとつ。自然の中で幸せを感じるよう本能がインプットされている。
「楽をすれば幸せになれる」「物質的に豊かになれば幸せ」という考え方は、恐ろしい錯覚だと思う。
このようなことを続けていけば、人間は、そのうち幸せを感じる本能が完全に失われてしまう。
その先には、いがみ合い、傷つけあい、最後には核戦争で、全人類が撲滅...なんて、ドラマみたいな現実が訪れるのかも。
それを防ぐには、一刻も早く、人間ひとりひとりが、必要以上に楽をせず、人間として誇れるようなことに対して、真剣に努力をすること。

でも、なかなか難しいね。人間は弱い生き物だから.....