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星空を見上げて(七夕に想う) 送信日時  2011/07/04 23:29
もうすぐ7月7日、七夕の日。
お父さんは子供の頃、七夕の星空が大好きだった。
部屋の明かりを消して、大阪の汚い空を、見えもしない天の川を必死になって探したものだ。
星空は、お父さんの大好きなクリスマスにも共通するトワイライトの世界。この前見に行ったホタルもそう。暗い中でほんのりと光がともる。このささやかな光のページェントに心が震える。

七夕といえば、年に一度だけ天の川を渡って織姫と彦星がデートをする日。
ロマンチックだなぁ・・・なんて考えるのはちょっとばかし置いておいて、
以前にうつ対策として「光の効用」という医学的な面を書いたが、今回は趣を変えて、光の科学的な部分を考察してみることにしよう(なぁーんちゃって、偉そうに)。

織姫と彦星は、天の川の両岸にたたずんでいるように見える。しかし実は、地球から織姫は25光年、彦星は17光年離れていて、さらにこの2つの星の間の距離を実測すると、15光年離れているらしい。だから、1日で会いに行くなんて、できやしないぜぇ。

と、夢をぶち壊すようなことを書いたけど、
例えば、私達の身近にある太陽は、いつも天空を照らしてくれて、その姿が手に取るようにわかる。
しかし、身近に存在する太陽ですら、常に私たちは8分19秒前の姿を見ているのである。

また、有名なアンドロメダ星雲までの距離は、230万光年。
230万年前といえば、猿人(アウストラロピテクス)が登場して間もない時代。ジャワ原人もペキン原人もクロマニヨン人も、もちろん現代人も、まだこの世に生まれていない。
本来、猿人たちが眺めていたはずの230万年前の星を、時を越えて、現在の私達が見ている。
とてもロマンを感じる。
アンドロメダは、1個の星ではなく、肉眼ではうっすらと雲のように見えるだけの星たちの集団。
たとえば、実際に肉眼で見ることのできる明るい星の中で一番遠いのは、はくちょう座のデネブという星だそうで、1800光年離れているらしい。
また、現在の観測技術で確認できる天体の中で最も離れているものは、なんと約150億光年だそうだ。

お父さんは、小学校の授業で「光の速度は1秒間で地球を7周半」と聞かされてから、光の存在が不思議で不思議で仕方なかった。
それまで、「光」について何も考えたことがなかったが、初めて「光」を物質として意識した瞬間だった。
そして、「光」の不思議は、「宇宙の広さ」と関連付けるようになってから、ますます興味深いものになっていった。

光の速度は、真空では1秒間に30万キロと一定。そして、決して消滅することなく、気の遠くなるような時間を延々と旅することができる。そのエネルギーは何なのか。
また、「光」が原因となって、何かが移動しているということは確かで、「光」がその実態であれば、何か粒子のようなものなのだろうか。
それとも「光」が原因となって、何か他のものに伝播しているのだろうか。
例えば、アンドロメダを例にあげると、たぶん、途中に障害物がなければ、どの方向からでもアンドロメダは見ることが出来るだろう。
ということは、アンドロメダの中心から地球までの距離である230億×30万キロの半径の球体を作って、その表面積の全てに光の粒子が通過するとすれば、それは考えられないような数の粒子が存在しないといけない。
ああ、わからない、わからない。

「光」の不思議については、他にもいろいろと驚くことがいっぱいあるが、それはまた機会があればお話しすることにしよう。(別にいらんかぁ)

お父さんがなりたかった職業は、パイロット、イラストレーター、そして天文学者。
もしもお父さんの家庭に、お父さんが失敗しても動じないほどの財力があり、お父さんがアインシュタインやホーキングのように頭が良ければ、理想の生活(=職業)が待っていたかもしれない。
お父さんはもともと理系肌だったけど、唯一、物理が不得意だったのが致命的だった。わけのわからない物理の公式が、とても理解できなかった。
今思えば、もっと真面目に物理を勉強しておけばよかった。あまりにも安きに流れて、つぶしがきいて安定的な文系を選択してしまった。

貴方の理想は、やはり音楽関係だろうか。それとも、一生を無難に楽して生きていければ、それが一番いいのだろうか(裕介を見ていてそう思う)
まぁ、人それぞれだけど
理想を求めるにはパワーが必要で、辛いことかもしれないけど、その苦労は決して不幸なことではないと思う。
お父さんはこれまで生きてきて、苦労=充実=幸せということの方が多かったような気がする。

今回からは、たまに画像も添付することにした。
これが230万年前の姿。アウストラロピテクスはとっくに滅んだが、その頃の光は、今なお元気で鮮明に私たちにその存在を投げ掛けている。