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線香花火 送信日時  2011/08/09 23:57
毎年この時期になると、各地で花火大会が盛んだ。
震災の影響で、全国的に自粛ムードはあるけれど、松江水郷祭や出雲おろちまつりは、例年どおり沢山の花火が上がる。

花火は夏の風物詩。誰もが夜空を見上げて吸い込まれていく。
でも、お父さんは、ここ最近、花火大会はあまり好きではなくなった。
花火大会で上がる打上げ花火は、豪快で綺麗だが、何故か心に染み入るものが感じられない。
大規模な花火大会になればなるほど、心が落ち着かなくなる。

お父さんが小さい頃から、「花火」と聞いて真っ先に連想するのは、「線香花火」。
線香花火は、決して派手さはないが、趣のあるオレンジの淡い光がいい。そして静かに弾ける音と移り行く花模様。光の玉が燃え尽きるまで落とさないように、手先に集中するあの感覚。
線香花火を持つ姿を想像すると、浴衣とうちわが最もよく似合う花火だと思う。

先日の山陰中央新報の「明窓」欄で、線香花火のことを、こう表現している。
「まず短い火花が重なり合うボタン、続いて火花が激しく飛び散る松葉、やがて柳のように火花がしだれ、最後に菊の花びらが咲いて散っていく」
まさに、言い得て妙である。

また、お父さんが好きなさだまさしの曲に「線香花火」という曲がある。
彼がソロ活動を始めて最初に出した曲で、もうかれこれ35年前のものだが、その詩が日本人の心情を的確に表現している。

東日本大震災による被害が、過度に成長しすぎた現代文明に警笛を鳴らしている。
胸のすく豪快な打上げ花火もいいが、日本人が古来から大切にしてきた慎ましい「線香花火」の心情を、今一度見つめ直す時期に来ているのかもしれない。