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宗教とは | 送信日時 2012/01/05 21:21 | ||
仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教・・・何故、世界中どこに行っても宗教が存在するのか。
人間にとって、「宗教」とは何なのか。 お父さんは、最近まで、宗教のことについては、全く無関心で、宗教の意味や存在意義など、気にしたことがなかった。 しかし、この歳になり、人間にとって本当の「幸せ」とは何かを考えるようになったら、その先に見えてきたのが、「生かされていることへの感謝」「苦労は決して不幸ではなく、自分を成長させてくれるための、ありがたい経験」「祖先の敬愛」など それが、宗教的なものへと繋がっていくのではないかと思うようになった。 ●●家は両家とも浄土真宗を信仰し、お父さんも、源光寺の門徒になっているが、お父さんは、今でもそういったものへの信仰心はない。。 毎朝仏壇に手を合わせ、墓参りも欠かさず行っているが、決して浄土真宗を信仰しているからではない。 自分の心を浄化させ、今日も生かされていることへの感謝と、この世に生を受けさせてもらった先祖への感謝の気持ちを持続しようと思い、それを忘れないための手段として、仏壇や墓を拝んでいる。 イエスキリストやお釈迦様が宗教を作ったわけではなく、本当の宗教があるとすれば、それは私たち人間の心の中に内在するものだと思う。 その根本は、「愛」と「感謝」の心だと思う。 「愛」とは何か。 家族や恋人への愛だけではなく、祖先への愛、人類全てへの愛、生命全てに対する愛、そして全ての自然への愛。 「自分が愛されたい」と思う気持ちが同居するのではなく、無条件に他を愛する気持ちが、真実の愛だと思う。 家族を愛する気持ちは当然だけど、誰に対しても、何に対しても、愛と感謝の気持ちがなければ、結局は、いくら家族を大切に思っていても、それは独善的な愛であり、本当の愛ではないと思う。 例えば、我が子と他人の子が海で船から転落した場合を想像してみる。我が子は水泳ができ、自力で助かる可能性があるが、他人の子は全く泳げない。海は荒れていて、泳ぎが達者な人でも、助からない可能性もある。そういったときに、まずどちらを先に助けるのか。 最近、こういったことをよく考える。 宗教とは、決して他人が作ったものではなく、人それぞれの心の中に内在しているものだと思う。 ただ、キリストや釈迦などの先人達が、それを引き出そうとしているだけである。 本当の宗教心にたどり着くことは、凡人のお父さんにはむつかしいことだけど、これからは、こういうことを真面目に考えていこうと思っている。 これから先、何年生きられるかわからないが、最期は邪念がなくなり、本当の宗教心が確立していれば、幸せな人生だったと思えるだろう。 |