文明の発展は必ずしも人を幸福にしない

人間社会ではここ100年足らずのうちに文明が急速に発展し、今では都会が「眠らない街」と称されるように、昼夜の区別がつかないほどの大量消費時代を迎えています。
ビル街の夜景

世の中はとても便利になり、楽しみの選択肢が増え、医療の進歩で平均寿命も延びました。

文明の発展は、何から何まで良いことづくめのようにも見えますが、昔の人と比べて人々の「幸福感」は本当に増大しているのでしょうか。
最近よくそんなことを考えるようになりました。

スポンサー広告

幸福感とは

生理的な仕組み

幸福を感じるときは、必ず何かの生体反応が起きています。
それは、特に3種類の脳内ホルモンの分泌が影響していることが知られています。

脳みそのイラスト

幸福感やモチベーションを高めるホルモンです。
この脳内物質が分泌されると、私たちは幸せな気持ちで満たされます。そして、やる気に満ちて、ポジティブに物事を捉えられるようになります。
心を安定させ、癒しを与えてくれるホルモンです。
このホルモンが分泌されていると、多少のことではイライラせず、穏やかな気持ちでいられます。
また、ストレス物質であるアドレナリンの過剰分泌を抑える働きもします。
モルヒネの6倍以上の鎮静効果と恍惚感をもたらすと言われる強力なホルモンです。
ケガや病気、運動などによって負った痛みや苦しさを強力に鎮静化する効果があり、さらにこれを多幸感へと転換します。ランナーズハイなどがこれにあたります。
これらのホルモンをバランスよく分泌することで、人は「幸福感」や「快楽感」を感じることができるのですが、人間の心の中は複雑なので、なかなか幸福を感じるようには身体が反応してくれません。
これらのホルモンを分泌して幸福感を得るためには、後述するような行動の変化が必要です。

行動的な仕組み

自分自身の経験から、どのような行動をとった時に幸福感を感じているか、考えてみました。

欲求が満たされたとき

欲しかった趣味の道具などを購入して説明書を見ながら操作しているときなど、とても幸せな気持ちになりますね。
物欲はには勝てません(笑)

苦痛から解放されたとき

病気や怪我からの回復もですが、苦しいトレーニングの後のひとときなどもそうです。
特に精神的な苦悩から解放されたときに、ホッとして安心感とともに幸福な気持ちをもたらしてくれます。

良好な人間関係を築けたとき

人から褒められた、頼りにされた、感謝されたなど、良好な人間関係が築かれているときは、なんとなく幸せを感じています。

楽しみを計画しているとき

楽しみにしている旅行の計画を立てているときは、気持ちがワクワクしています。実際に旅行しているときよりもワクワク感が大きいように思えます。

 

際限のない欲望

 

何を買おうか考える男性

人間の欲望の追求には際限がありません。
これは「幸福感」の追求についても同じことが言えると思います。

特に物欲や金銭欲についてはやっかいもので、欲求を満たしてもさらに上のレベルのものが欲しくなり、現状維持では「幸福感」は保たれず、どんどん上を目指します。そのため、幸福感よりもストレス感の方が大きくなることになるんです。これでは本末転倒ですね。

富は実際に幸福をもたらしますが、それも一定の水準までで、それを超えるとほとんど意味を持たなくなるように思います。

日本人の特性

頬杖をつく男性

日本人は、幸福を感じるホルモンであるセロトニンの分泌量が遺伝子的に少ないという研究結果があります。
私たちは、残念ながら、気質的に幸せを感じにくいのです。
何事にも小さなことを気にしない大らかな性格の西洋人と、石橋を叩いても渡れないような神経質な日本人とでは、その性格の差が幸福感の醸成にも影響を及ぼしているんですね。

 

文明がもたらした功罪

文明の発展は、私たちに多くの功績を残しましたが、それよりも多くの弊害をもたらしたと思います。
人間が賢い存在なら、そろそろそのことに真剣に向かい合わなけらばならないと思うのです。

功績について

医療の進歩で長生きできるようになった

何といっても、医療技術の進歩と衛生環境の改善によって、平均寿命が延びたことが一番の功績ですね。
「長寿」イコール「幸せ」と一概に断言できない面もありますが、幸せな状態で長く生きられることは、素晴らしいことです。

単調な生活から解放された

旧石器時代のように、日中は狩猟をして、暗くなれば寝るという、食べることと寝ること以外にほとんど生活の選択肢がなかった頃と比べ、現代社会は生活する上での選択肢が豊富にあり、飽きさせることはありません。
これまで不可能だったさまざまな感動を享受することができ、楽しみや快楽の幅が広がっています。

 

弊害について

欲望を駆り立てる結果を招いた

物質文明の発展が、私たちに際限のない欲望を植え付ける結果を招いてしまいました。
ひとつの欲望を満足すると、それに飽き足らなくなって、次の欲望へと邁進する。その結果、常に満たされない状態が続き、延々と欲望を追い続ける。
このことが逆にストレス社会を生んでしまうことになったのではないかと思います。

人間関係の希薄化

世の中が便利になると、共同生活をしなくても、何でも個人で手に入るようになり、どんどん核家族化や地域コミュニケ―ションの衰退が進んでいます。
何事も対面ではなくネットで済ますような時代が到来しています。
人と人との心の触れ合いがなくなると、穏やかな気持ちを保てなくなり、人間関係が良好に維持できず、疑心暗鬼にもなってきます。

自然環境の減少

人間も神から与えられた生き物の一種で、何も特別な存在ではなく、他の生き物と同様に自然と共に生きていくのが理想の姿だと思っています。
文明がどんどん自然環境を破壊しています。将来は、人間が人工的に作った箱庭のような疑似自然環境の中で暮らすことになるのかもしれませんが、自然の摂理に背くような社会は、きっと心が破たんすると思っています。

地球温暖化

自然環境の減少にも通じることですが、このままどんどん化石燃料を燃やし続け、大量エネルギー消費が続くと、何億年もの昔から続いてきた私たちの素晴らしい地球の姿は保てなくなり、きっと取り返しのつかない環境変動が起きることでしょう。
近年の大災害の頻発がその警笛を鳴らしてくれています。
「幸せな生活」どころではなくなることが、刻一刻と近づいているような気なしてなりません。

 

識者からの警笛

イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏の書いた『サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福』という書物があります。
2014年に出版、2016年に日本語訳が出て、世界的ベストセラーになっているものです。
その下巻の第19章に「 文明は人間を幸福にしたのか」という内容があります。

その中の一節を紹介します。

中世の農民が泥壁の小屋を建て終えたとき、脳内のニューロンがセロトニンを分泌させ、その濃度をXにまで上昇させた。2014年に銀行家が素晴らしいペントハウスの代金の最後の支払いを終えたときにも、脳内のニューロンは同量のセロトニンを分泌させ、同じようにその濃度をXにまで上昇させた。脳には、ペントハウスが泥壁の小屋よりもはるかに快適であることは関係ない。肝心なのは、セロトニンの濃度が現在Xであるという事実だけだ。そのため、銀行家の幸福感は、はるか昔の祖先である中世の貧しい農民の幸福感を微塵も上回らないだろう(サピエンス全史・下・230P)

著者は、「あとがき」にもこう書いています。
「不幸にも、人類による地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない」

 

また、仏教の世界では、釈迦も同じようなことを言っています。
「金や物が豊かになっても、人間は幸福にはなれない」 。この真実を、釈迦は一言で「有無同然(うむどうぜん)」と説いています。

「田あれば田を憂え、宅あれば宅を憂う。牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共に之を憂う。有無同じく然り」 (大無量寿経)

この言葉は、次のような意味です。
『田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、有れば、管理や維持のためにまた苦しむ。その他のものにしても、みな同じである。ゆえに、憂(うれ)いは、有る者も無い者も同じなのだ』

 

最近になって、いろいろな識者が、文明の発展と幸福感の関係について論ずるようになってきました。

経済指標として、GDPの代わりに「幸福の統計値」を採用すべきだという意見すらあります。
経済的には貧しい国のブータンが「世界一幸せな国」と言われていますよね。

識者の皆さんには、もっともっと文明の発展について警笛を鳴らし続けてほしいと思います。
そして、世界中の人たちが、本当の幸せを追求する世の中になって欲しいです。

 

 

真の幸福を得るために

「幸福感」は自分でコントロールできます。
私は、真の幸福を得るために、次のことを実践していこうと心に決めています。

質素に生きる

際限ない幸福の追求の悪循環を断ち切るために、「今より多くの富を得て幸福になる」という感覚を捨てることが大切です。

そのために最も効果的なのが「質素に生きる」ことだと思います。
そうした生活の中で幸福を感じる心を醸成することが大切だと思っています。

質素な暮らしを続けると、幸福に対する尺度が変わってきます。そして、周囲に惑わされない安定した幸福感の持続を得ることができると思います。

関連記事

私は大阪で生まれ、子供時代を都会で暮らしてきました。しかし、思春期を過ぎる頃から、都会の暮らしに魅力を感じなくなり、大自然と向き合う質素な生活にあこがれを持つようになりました。そして、高校を卒業すると同時に地方の大学に進み、[…]

スイスアルプスの情景

他人と比べない

人間は浅はかなもので、他人との比較で自己満足感や幸福感を得ようします。

質素な時代は比べるものが多くなく、そういう意味では欲求心も安定していたのですが、現代の文明社会においては、様々な物質的・経済的レベルの人が暮らしていて、常に「今よりレベルの高い生活がしたい」という欲求に苛まれます。
その欲求が際限なく続くと、幸福感を得るどころかストレスばかりが蓄積されていきます。

人と比較する「相対的な幸福感」を改めて、今の自分が幸せだと感じる「絶対的な幸福感」を心に持つことが大切です。

身近なコミュニティづくり

多様な人間関係を築き、人とのつながりを重視することで、幸福度を高めることができます。

特に、家族や地域のコミュニティは、富や健康よりも幸福感に大きな影響を及ぼします。

貧困な生活の上に病に臥せっていても、愛情深い家族や地域社会の暖かさに恵まれた人は、健康で孤独な億万長者よりも幸せなのではないでしょうか。

感謝の気持ちを持つ

何事にも感謝の気持ちを持つと、緊張状態がほぐれてリラックスできるといいます。
オックスフォード大学のある研究でも、頭の中で欲求不満なことを思い浮かべたときには心拍数が乱れ、心で誰かに感謝をすると心臓の動きが穏やかになるという分析結果が発表されています。

常に感謝の気持ちを忘れないでいると、穏やかな気後が持続して、心の中が幸福感で満たされるようになると思っています。

それには、相手の悪いところばかり見ずに、良いところも見つけて、感謝の気持ちを表すことです。それができれば、きっと相手からも感謝されることに繋がり、その好循環がさらに幸せな気持ちを増幅させてくれると思います。

また、人に対してだけではなく、「生きていることに感謝」、「自然への感謝」など、生活している中でのさまざまな恩恵に気付き、感謝することができればと思います。

 

私は、これからも「愚直」に生きていくことで、ささやかですがゆるぎない幸福感が維持していくことができると思っています。
決して多くは望みません。