女優の芦田愛菜さん(16)が、2020年9月3日に東京都内で行われた映画の完成報告イベントで、彼女自身の「信じる」ことに対する考えを語ったことで、世間の話題になっています。
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芦田愛菜さんの言葉
芦田さんは、イベントの舞台上で、「信じる」ことについての質問に対し、地震の考えをこう話しました。
● 裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思う。
● 揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は「信じる」と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思う。
反響
まだ16歳の未成年である彼女が、一瞬のよどみもなく、こうした考えをスラスラと熱弁したことについて、世間の多くの人に感動を与えています。
自分の都合のいいようにしか考えられない大人』な自分が恥ずかしくなった。
幼少からの環境やらは大事なんだと思う。深く重く、情や愛はやはりそうであって欲しい。
最近のスキャンダルの本質が全部入ってる。
どんな経験を積めばこんな発言ができるのか?
私は23歳だが、この話に啓発された。本当に教えられた。
私の考え
まだまだ若いのに、よどみなく自分の考えをしっかりと語る芦田愛菜さんの姿に、とても感動を覚えました。
私はとても未熟な人間なので、人から何度も「裏切られた」「信頼していたのに」「あなとのことは信じられない」と言われ続けてきました。
弁解する気持ちはないのですが、その人のことを裏切ろうと思って行動したことは一度もありません。しかし、結果的に相手の心を踏みにじってしまうのです。自分にとって「信頼」されることはとても難しいものです。
一方、自分が相手を「信じる」ことについては、私は「人を信じる」ことについてはとても鈍感だと思っています。
人間はみな欠点があり、不完全です。親しい人でも、私のためだけに行動しているのではなく、さまざまな人間関係・社会関係のなかで、取捨選択を強いられながら人生を歩んでいます。その中で、私を切り捨てることは、ある意味仕方ないと思うのです。
「永遠の約束」なんてあり得ません。自分や自分の周囲は常に変化しています。その結果、自分に不利な状況になっても、安易に「信じていたのに裏切られた」とは思いたくありません。そう思えば思うほど、結局は自分自身を苦しめることになります。
全ての苦しみは、自分の中に内包されていると思うのです。
だから、信じていた人から自分の気持ちに反する行動をされたときは、「裏切られた」と感じるよりも「この人はこういう人だったんだ」と冷静に受け止めることにしています。
そういう点で、「自分が理想とする人物像に期待してしまっている」「その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ」という芦田愛菜さんの言葉には、とても共感できます。
「人を信頼するな」とは言いません。
人との信頼関係があるからこそ、自分に幸福をもたらしてくれます。心の安定を得るためには、いつも自分のことを思ってくれる「信頼できる人」が必要です。
ただ、「信頼」というものが、利己的であってはならないと思います。もっともっと大きな心で相手のことを思いやることができたら素晴らしいですね。